高級セキセイの歴史

会長 小関 一夫

吉田 聰

1.日本のセキセイの歴史 

   飼鳥用セキセイインコは、1925年頃英国で原種から改良され、1934年にオパーリン(コバルト)が発生、1939年にはオパーリンとウイングの交配からパステルカラーが作出された。

   日本では1910年頃セキセイインコ(日本名:背黄青インコ)が輸入されたと文献に記載されているが、飼鳥用のセキセイインコが本格的に輸入されたのは戦後で、これらのセキセイインコを飼う愛鳥家が1950年頃より増え始めた。1952年頃にはハルクイン、ルチノー、アルビノ等が出回り始め、その後パステルカラーが導入された。

   日本に導入された飼鳥用セキセイインコは気候が温暖な愛知県を中心に繁殖が盛んに行われ、ペット業者を通じて全国へ出回り始めた。

一方、熱心なブリーダーの知識や飼育・交配技術の向上によって、飼鳥用から展覧会用へと各品種ごとに進歩を遂げた。

   そして、1960年代~1970年代までが日本での展覧会用セキセイがもっとも進歩した時代であり、日本各地にセキセイ専門のクラブが設立され、会員は増加し展覧会の開催が盛んに行われた。

また、1970年代には四国で羽衣セキセイが固定化された。

 

2.日本高級セキセイ保存会の発足 

   関東圏では「日本セキセイクラブ」(寺門会長)がセキセイ専門のクラブとして活動し、品評会は「全日本洋鳥展」のセキセイ部門に各ブリーダーが出品した。

   1967年頃から各品種への考え方、セキセイ単独の品評会開催等、考えを同じくするブリーダー5名程が石和竹太郎氏宅に集まり、セキセイの研究と談話に花を咲かせた。

   この研究会を数回開催した後、19685月(昭和43年)同胞の中から庭山満、小関一夫、吉田聰の各氏が役員となって「日本高級セキセイ保存会」が発足、庭山初代会長のもと197210月には第1回目の品評会が開催された。

   保存会発足以降から展覧会用セキセイは高級セキセイと呼ばれ始めた。

 

3.日本高級セキセイ保存会と西日本セキセイクラブとの交流

1970年小関氏が、翌年吉田氏を伴って他のクラブの交流を深めるため、1966年に発足し      ていた「西日本セキセイクラブ」(和田会長)を四国高松に訪ねた。和田会長の強いリーダ      ーシップのもと、香西氏が中心なって固定化した巻毛セキセイと色彩の濃いパステルカラー      レインボーバイオレットに力を入れ、多くの会員がこれらの品種を飼育していた。主な会員      の禽舎訪問を行ったが、その会員の中にあってパステルカラーレインボーバイオレットの第      一人者でクラブの副会長でもある寒川氏を紹介された。

② それ以降、和田、寒川両氏と小関、吉田両氏の交流が始まり、四国からはパステルカラーレ         インボーバイオレットが、関東圏からパステルカラーオパーリンライラック、四色・白ハル         クインバイオレットを互いに譲渡し合うようになった。                                           

   それぞれ譲渡し合った鳥は自地域の鳥と交配したが、パステルカラーレインボーに関してはより進化した鳥は作出されず、その後、それぞれの地域の好みに合った色彩と斑紋を持ち、その地域でしっかり固定化し維持・発展した共に素晴らしいレインボーであるとの認識に至った。

関東圏はセルフの鳥の良さであり、四国は斑紋が残るが色彩の濃い鳥であった。

 

4.高級セキセイ最盛期を彩ったブリーダー

① この時代は好きな品種やカラーを主体に飼うブリーダーが多く、保存会の庭山氏はノーマ           ルオパーリンバイオレット、小関氏はパステルカラーレインボーと巻毛セキセイ、吉田氏           はパステルカラーレインボーとパステルカラーハルクイン、長田氏は四色及び白ハルクイ           ンバイオレットであった。

② 日本セキセイクラブの寺門氏はパステルカラーオパーリンライラック、中川氏はパステル          カラーオパーリンバイオレット・ライラック・ライトグリーン、中山氏はパステルカラー            オパーリンライラックであった。

③ 西日本セキセイクラブの和田氏が巻毛セキセイとパステルカラーレインボー、寒川氏がパ          ステルカラーレインボーバイオレット、香西氏が羽衣セキセイ等ブリーダーの個性豊かな            時代と言えた。

 

5.大型セキセイの導入

  ① 英国で1950年に最初の英国セキセイ協会主催の展覧会が開催され、年々会員が増えると          共にヨーロッパ、そして全世界へと広がりを見せ、展覧会用の鳥達は徐々に大型化して行            った。日本には1971年業者により初めて大型セキセイがオランダから次に英国から輸入            された。

② 輸入当初は主に柄や色彩が綺麗なパイド種が人気となったが、日本のブリーダーの飼育経          験不足から交配を重ねるごとに体格が縮小、その後これらの鳥は自然淘汰され一部の鳥は            高級セキセイと交配された。その後、大型セキセイ本来の姿を求めて、英国のブリーダー            との交流を通じて系統がしっかりしたノーマルやオパーリンが輸入された。大型セキセイ             の輸入が進むにつれて、1972年に大阪を中心とした「日本国際セキセイ協会」                     (鈴木会長)が設立され、会員増加と共に支部も設置され本部・支部展覧会が開催された。

   大型セキセイは色彩や斑紋の美しさよりも、その体格や頭部の大きさ、タイプの良さ等を求めるため、色彩や斑紋の美しさを求める高級セキセイとブリーダーの人気を二分した。

 

6.日本高級セキセイ保存会のその後

1970年代に入るとセキセイの隆盛期とも重なって、保存会会員も順調に増加し1995年           に70名を超える会員数となった。その中には後の会長となる濱吉氏や女性ブリーダー             の草分け的存在である長田氏がいた。

    ② この後30年間は小関氏が中心となって保存会を盛り上げ、自ら好きなパステルカラーや巻          毛セキセイの保存、維持に尽力した。特に関東圏で力を入れていたパステルカラーセルフ            は体の濃さと共に、各品種の斑紋が全く消滅したセルフの完成を見た。

③ 品評会は2013年の第45回まで続き、会長は第2代から小関氏、濱吉氏、日暮氏、尾崎           氏、そして現在の小関氏に引き継がれた。

 

 

7.日本のセキセイ界の衰退

        2000年を境として、鳥を取り巻く生活環境の変化、トップブリーダー達の高齢化による            クラブの退会、ブリーダーの引退、セキセイインコ専門クラブの廃止(大型セキセイ1・            高級セキセイ3・巻毛セキセイ1団体)等が相次ぎ、ここ数年の日本のセキセイ界の衰退は          目を覆うばかりで、会員の増加、後継者の育成が急務である。

 

8.新生日本高級セキセイ保存会の活動

        20234月に保存会の新たな試みとして、新入会員募集と里親募集を開始した。                      また、ブログの新規更新、X(旧Twitter)やホームページの新たな作成を通じて新規会員を                迎え、真に美しく綺麗な高級セキセイの品種維持・発展を目指して小関会長を先頭にし              て、月例会の定例開催、ブログ等の更新、会員相互の情報交換等を実施している。